本多勝一さんの山歩きエッセイ『初めての山へ60年後に』が出版されました。

この中の南駒の章には川上君が同行していて、文中にも何度も登場しています。
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そういえば・・・
と思って「伊那谷の山」の掲示板を探してみたら・・・
2007/05/07にこんな書き込みがありました。

本多勝一さんと,昨年の10月に一緒に登った空木岳の紀行文の生原稿の写しを,今読み終えました。400字原稿で45枚あります。

本多さんや本多さんの同級生のM先生にとって,南駒や摺鉢窪は青春の山,ルーツ,もっというと「聖地」なんだなということが,この紀行文から嫌というほど伝わってきます。

アンチ百名山の書きっぷりも共感。
それはそうでしょう。自分の心の聖地を,踏んづけられて,ズタボロにされて,ごみだらけにされて,ただの通過点にしか評価されないような山歩きに,怒らぬような人はまずいないでしょう。

幸い摺鉢窪は60年近く前とそう変わってはいない。南駒が百名山から外れたおかげだと。

アンチ百名山の人に共通項を見つけるなら,それは自分のルーツが山に宿る人なのだと思います。その山で成長し,その山に助けられ,その山に慰めてもらったことを自覚する人は,「何が百名山だ」ときっと思うはず。本多さんもまったくそうでした。

逆に考えると,百名山巡礼の人はそういう自分の青春の原点の山がないのかもしれません。山から学ぶとか,山にいだかれるとか,山に救われるとか,感涙にむせびながら原生林を歩くとか,そういう経験が一度もないのかもしれませんね。残念なことです。

この本多さんの原稿が,いつか活字になったりしたら,ミーハーな私は3冊ぐらい買っちゃうかな。


生きていたらどんなに嬉しかったことでしょうね。
あらためて冥福を祈りつつ、読ませていただきます。
by funochan | 2009-12-06 20:58 | 思い出 | Comments(4)

29年前の体育祭


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29年前の写真です。
このぐらい小さいと誰からもクレームこないよね<たかちゃん

王選手の顔、よくできてますね。
誰が作ったんだろ?
申し訳ないですが、私は応援で頭がいっぱいだったので、デコの記憶がまったくありません。

団長が長浜神社の宮司さんだったこともすっかり忘れていましたが、賞状を手にしているところを見るとそうなんでしょうね。
雲さんの記憶力には脱帽です。
最前列には雲さんの従姉妹の浩子ちゃんがいますね。
そうそう、教務主任のY先生も3年間一緒だったかも。
by funochan | 2006-09-23 22:50 | 思い出 | Comments(4)

あれから30年

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某掲示板に貼り付けるためにスキャンしたので、ついでにこちらにも。
過ぎ去った歳月を数えて唖然としてしまいます。
kouが高1になったのだから、確かに三十年前に間違いありません。

三十年前、高1の秋に初めて大山に登ったときの写真です。
高校の山岳部プラス・・・・
友達の彼が山岳部だったので私は付録です。
当時はまだ縦走ができて、やせた尾根道を、石をゴロゴロ落としながら恐る恐る歩きました。

これをきっかけに、私の山行は北アルプスへと続くのでした。
by funochan | 2005-10-11 22:07 | 思い出 | Comments(3)