2009年 12月 06日
本多勝一『初めての山へ60年後に』
この中の南駒の章には川上君が同行していて、文中にも何度も登場しています。
そういえば・・・
と思って「伊那谷の山」の掲示板を探してみたら・・・
2007/05/07にこんな書き込みがありました。
本多勝一さんと,昨年の10月に一緒に登った空木岳の紀行文の生原稿の写しを,今読み終えました。400字原稿で45枚あります。
本多さんや本多さんの同級生のM先生にとって,南駒や摺鉢窪は青春の山,ルーツ,もっというと「聖地」なんだなということが,この紀行文から嫌というほど伝わってきます。
アンチ百名山の書きっぷりも共感。
それはそうでしょう。自分の心の聖地を,踏んづけられて,ズタボロにされて,ごみだらけにされて,ただの通過点にしか評価されないような山歩きに,怒らぬような人はまずいないでしょう。
幸い摺鉢窪は60年近く前とそう変わってはいない。南駒が百名山から外れたおかげだと。
アンチ百名山の人に共通項を見つけるなら,それは自分のルーツが山に宿る人なのだと思います。その山で成長し,その山に助けられ,その山に慰めてもらったことを自覚する人は,「何が百名山だ」ときっと思うはず。本多さんもまったくそうでした。
逆に考えると,百名山巡礼の人はそういう自分の青春の原点の山がないのかもしれません。山から学ぶとか,山にいだかれるとか,山に救われるとか,感涙にむせびながら原生林を歩くとか,そういう経験が一度もないのかもしれませんね。残念なことです。
この本多さんの原稿が,いつか活字になったりしたら,ミーハーな私は3冊ぐらい買っちゃうかな。
生きていたらどんなに嬉しかったことでしょうね。
あらためて冥福を祈りつつ、読ませていただきます。
百名山はどこにもある山と、かわらない山々だと思います。ブランド化と観光名所といった時代の波に飲み込まれてしまった不運な山々と言った方がいいかもしれません。登山道が整備され、健康であって金と暇がある登山家が登る山になってしまったのは残念です。山って、頂上から見て、今度はあの山に登ってやろうという強い気持ちさえあれば、たとえ登山道がなくても登れるものです。頂上まで幾つかの難所はあるでしょう。それを乗り越えることで自分自身の成長もあるし、培ってきた経験・技術が足りなかったら、自分が今まで知らなかった世界の人たちとの交流も実現できるでしょう。これが思い出に残る自分の名山になっていくのではないでしょうか。
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funochan at 2009-12-13 20:00
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at 2009-12-24 21:43
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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funochan at 2009-12-26 23:02
by funochan
| 2009-12-06 20:58
| 思い出
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Comments(4)